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いよいよ津軽海峡にさしかかっても風は相変わらずで、艇速は伸び悩みです。船のスピードメーターとGPSの対地速度に注意していましたが、悪い潮を察知できませんでした。東からこちらへ向ってくるヨットの舷灯が見えて来ましたが、こちらとの位置関係がどうも理解できません。ふらふらと向きを変えているようにもみえます。クローズを走っていましたが、相手も同じタックでこちらの後ろを通って西へ向って行きました。暗がりの中でセールの形はなんとなく認識できましたが、船体までは見えません。不思議に思っていたのですが、次のタッキングの後自艇の航跡をワッチしていたI伏さんから「後戻りしとるで」との声。驚いて航跡をチェックすると、北へ向っていた航跡は大きく東へ曲がり大間どころか佐井村方面へ流されていました。これは痛恨のミスでした。
もっと早くこの事態に気がつくべきでした。およそ2時間はロスしてしまったはずです。この最悪の潮から脱出して津軽海峡の真ん中あたりへさしかかると、I伏さんから海峡を通過する大型本船が近くにいるとの情報がきました。ガスがかかり、視界はあまりよくありません。こちらの艇速は1〜3ノット弱で、急に現れた本船を避けることができないかもしれません。時々セールを懐中電灯で照らして見えない相手にこちらの存在を知らせます。相手は当然レーダーを積んでいるはずですが、こちらの船をどう認識しているかはわかりません。何かの漂流物とおもわれてもおかしくない速度で進んでいます。幸い、行き会いそうになった船のすべてがこちらを避けてくれたので亀のようなスピードで海峡をわたることができました。
竜飛の灯台が徐々に見えにくくなり、北海道側の灯台が見えてきたのは夜半もすぎて夜明けに近い時間でした。潮で東へ流されることを考慮して木古内方面へ向っていましたが、その後大きく潮の影響は受けませんでした。むしろ反流でいくらか西へ流れているようでした。
夜が明けてきて明るくなると、はるか前に2艇後ろに1艇のヨットが確認できました。後ろの船はじりじりとこちらに追いつき、青森のTというヨットであることがわかりました。長くゆっくりの夜がビリで走っていた訳ではなかったことに安心しました。夜が明けるとガスも晴れてきて函館山も見えてきましたが、当然なかなか近づきません。風は相変らず弱く不安定で私の仕事はもっぱら暴れるブームを抑える作業になりました。残りの距離をI伏さんに聞き、時計を眺める事数時間、フィニッシュマークが見えてきたころに少しだけ風がきました。緩い上りの風です。
風が変わるたびに抜きつ抜かれつの攻防を後ろからきたTチームと繰り広げてきましたが、この風で2艇ともフィニッシュできそうです。当然こちらのデッキではTに負けるな!という空気になり、舵を持つK股さんもチカラが入ります。しかし風は軽風です、足の速いTチームにあえなく下突破されてしまいました。それでもタイムリミットまで約30を残してフィニッシュできました。多分オーナーを含め乗員の皆さんのほとんどが夜半過ぎにはフィニッシュを諦めていたと思いますので、フィニッシュできた感慨はひとしおでした。
実は日暮れ前に午後10時に平舘を抜けていなければ、リタイアする旨の通達がオーナーからなされていて、午後10時のロールコールの時にコミッティーに対してリタイアの宣言をする手はずでした。
しかし、ロールコールの呼び出しを待っている数分の間にそよそよと吹き出した風にK股さんが「やりましょう!」と提案したことで続いたレースでした。オーナーの頭の中ではその後もリタイアのタイミングを計っていたことと思いますが、レースを続行していただいたことに感謝しています。
着順は最下位でしたが、修正で9位でした。潮で流された2時間が悔やまれます。
k野オーナー、奥さん、お世話になった皆さん有り難うございました。
来年はどんな形で参加できるかまだわかりませんが、また津軽海峡を渡りに行きます!
オフィシャルのレースリポートはこちらです。
www.aomoriyacht.com/seikan/#info2011
※少しだけ、レースの模様をビデオに撮りました。近日中にUPできると思いますのでおたのしみに。
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